イントロダクション： エクスペリエンスデザインの分野では、「ユーザーのために作る」とよく言われます。それは明確で実行可能、人間中心的に聞こえます。しかし実際の利用は、単一の人と単一のプロダクトの一対一のやりとりで完結することはほとんどありません。現実世界の体験は、人・場所・システム・ポリシー・テクノロジーなど複雑な関係の網の目の中で生まれます。本稿は「ユーザー」という言葉の意味を見直し、意図的な個人という枠を超え、エコシステム全体を視野に入れたデザインを提案します。 起源： 文化人類学者のマイク・ヤングブラッドとベン・チェスラックは、フィールドワークとシステム思考を通じてデザインの道を歩んできました。マイクは南アジアの社会運動を研究し、短期集中型のデザインプロジェクトにも人類学的探究の深みが活かせると発見しました。ベンは世界各地の手術室で観察・インタビューを行い、ツール・人・プロセスがどのように連動するかを実地で学びました。二人はスタンフォード大学d.schoolでの協働を通じてアイデアと手法を練り上げ、やがてそれは「Rethinking Users（ユーザー再考）」というクラス、フレームワーク、そして書籍とツールキットへと発展しました。 なぜ「ユーザー」を再考する必要があるのか： ユーザー中心設計はデザインの基礎です。価値観や文脈、ニーズの理解は重要です。しかし、従来のモデルは「道具を手に取り目的を達成しようとする個人」に焦点を絞りすぎてしまいがちです。その結果、体験の成否を左右する広範な関係性が見落とされます。たとえば手術室では、外科医が器具の直接的なユーザーですが、手術の成功は看護師や技師、滅菌担当や廃棄物管理など多くの役割に支えられています。直接ユーザーだけに最適化した設計は、周囲の関係性がサポートされていない場合、失敗につながるリスクがあります。 通勤電車の例で考えてみましょう。長年の研究の末に作られたスマートフォンは、大声で通話する本人にとっては快適でも、車内の他の全員にとってはしばしば不快な体験をもたらします。一人を喜ばせる設計が、全体の環境を損なう場合、それは本当に「人間中心」と言えるのでしょうか。「利用」を意図的・偶発的を問わず「関与」として再定義することで、デザインがもたらす広範な影響やトレードオフが見えてきます。 ユーザーエコシステム思考： この転換を「ユーザーエコシステム思考」と呼びます。システム理論を参考にし、相互接続・役割・関係性・統合・創発などに着目します。どんな環境でも、個々の体験が合わさってシステム全体の体験が生まれます。すべてのアクターが役割を持ち、それらの関係性が最終的な成果に影響します。設計時には「このプロダクトやサービスの周囲にはどんな関係性があるか？それらは成果を強化するか、妨げるか？誰の体験を中心に据えているのか？」と問い直すことが重要です。 実践への落とし込み： 「Rethinking Users」は、直接ユーザー以外の人々も含めた「ユーザーアーキタイプ（原型）」の具体的なフレームワークを提供します。間接的・補助的・同時的・無意識的な関与など、関係性のダイナミクスを分類します。ツールキットには以下のような実践的なエクササイズが収録されています。 - フィールド観察でアーキタイプを発見する - 現状で最もサポートされている／されていないユーザーを分析する - 見落とされがちなアーキタイプに着目し、エコシステム全体へのインパクトを再考する ペルソナとアーキタイプの違い： ペルソナは目標や動機を明確にするのに役立ちますが、しばしば関係性を曖昧にしがちです。アーキタイプは人が果たす役割やその接点を明確にします。関係性タイプから始めることで「すべての人」を表現しようとする分析麻痺を防ぎ、少数の重要なアーキタイプに集中できます。これにより、広いネットワークへの共感が生まれ、小さな改善でも大きな成果につながります。 テクノロジー・AI・境界の曖昧化： AI搭載デバイスやスマート環境、ロボティクスの普及で、「主体」と「客体」の境界は曖昧になっています。プロダクトが私たちの代わりに行動し、周囲を感知し、意思決定する時代です。ときにはテクノロジー自体が「オートノミックユーザー」として人間行動と密接に絡み合い、ユーザーとツールの区別が消失します。このような状況では、人だけでなく、人工物同士がどう関係し合い、エコシステムを再構築するかも設計上の重要な視点となります。 現代デザインにおける人類学の役割： コンテクスチュアル・インクワイアリーや長時間インタビュー、エスノグラフィー観察など、人類学の手法はデザインリサーチの基礎です。「見慣れないものを親しみやすくし、見慣れたものを新鮮に見る」という姿勢は強力です。未知の文脈では参加者自身の枠組みや価値観から学び、馴染みのある環境では自分の思い込みから距離を取って分析します。この視点はバイアスを減らし、より良い意思決定やリスク評価を可能にします。大規模な学術研究を要求するのではなく、ターゲットユーザーの定義や関係性の理解、重要アーキタイプの選定において「厳密さ」を求めます。 実践的なポイント： 最も大切なのは「意図すること」。常に「誰の体験を中心にしているのか？誰の満足・喜びを重視しているのか？なぜか？」と問い直しましょう。全員のために設計する必要はありませんが、選択の理由を明確にし、エコシステム全体への影響を意識することが重要です。圧倒されそうな時は、フレームワークやエクササイズを活用して楽しく進めることもできます。まずは見落とされがちなアーキタイプを一つ選び、その関係性や摩擦点、支援策を考えてみましょう。これはより良いプロダクトだけでなく、誰が恩恵を受け、誰が影響を受けるかを理解する幸せなチームづくりにもつながります。 詳細情報： リソースや具体例、ツールキットはrethinkingusers.comで公開されています。書籍はBIS Publishersから出版されており、NN/gではペルソナとアーキタイプの比較、ペルソナが失敗する理由、UXにおけるエスノグラフィー、コンテクスチュアル・インクワイアリーなど関連トピックの記事や動画も提供しています。デザイン実践が進化し、テクノロジーがより能動的になる中で、ユーザーエコシステム思考は「個」と「システム」の両面から人間中心の仕事を支える実践的なアプローチです。 結論： 「ユーザー」の再考は、ユーザー中心設計を捨てることではなく、より豊かにすることです。プロダクトやサービスを取り巻く関係性全体を見つめ、名前を与え、支援することで、現実のつながりから生まれる成果をデザインできます。視野を広く、問いを正直に、意図的な実践を心がけましょう。